empollonの英語とか学習帳

このブログは僕の英語学習の内容や進捗、特に翻訳練習を記録するために始めました。ついでに、面白い人たちとの新たな出会いがあったら、なお嬉しいです。This will be to keep a record of my English practice progress. If I can get to know new interesting people through any interactions here, that’s also nice

インプット仮説について思うこと

語学研究において、インプット仮説という語学アプローチに関する研究がある。これは一言で言えば、第二言語獲得において、上達に資するのは有意味なインプットだけだよ、みたいなことと理解している。つまり聞いたり読んだりすることだと思う。このことは、日本で英語をやり直そうとして、英会話スクールに行こうとする社会人の学習者の直観に反するかもしれない。よく言われているのは、日本人は学校の英語教育でインプットを十分しているので足りないのはアウトプット、という説。どっちが正解なんだろうか。

 

僕がはじめてインプット仮説について知ったのは、HelloTalkの言語交換相手から聞いたときだった。彼はオーストリア人で本業はソフトウェアエンジニアだが趣味で日本語勉強してて、その時点で1年以上は日本語を勉強していたと思う。主な勉強方法はHelloTalkでひたすら日本人と電話する、ネットで文法調べる、文法のYouTube動画見る、日本語実況中継してるゲームプレイのYouTube動画を見る、マンガ読む、などなど。1年位の時点で一応電話での会話がある程度スムーズにできるレベルだった。

 

その彼がある時インプット仮説を知ってるかという話題を振ってきて、その時以来インプットインプットと強調するようになった。何も知らない状態で日本語で電話しまくった自らの経験に照らし合わせても、やはりインプットということになったようだ。そこからまた半年、1年と過ぎ、彼の日本語はものすごく流暢になった。インプット仮説との出会い以来、アウトプット重視のスタイルをやめてひたすらインプット、特に読書に時間を費やしてきたようだ。

 

そんな彼の様子を見てきて、僕自身もインプット仮説の重要性を理解したような気がする。彼は昨年はすでにJLPT2級に合格、今年は1級受けるらしい。

 

他にもいくつかこの仮説を裏付けるような経験があった。

 

HelloTalkでもう1人、インプット仮説の実践者と出会った。その人はカナダ人で、やはり日本語学習が趣味。僕と電話で話した時点での学習歴は約半年で、しかも日本語でまともに話すのは3回目くらいとのこと。実はHelloTalkで日本人彼女ができたとかで1度日本にも来て1週間位滞在したとかで、たしかその時を含めて3回。にもかかわらず、かなり普通に会話できているようでギョッとした。それまでにやってきた学習はやはり好きなアニメやら日本語の動画をひたすら見続けてきたらしい。いわゆる文法学習とかはネットでちょっと見る程度。

 

彼の場合は、たしかポーランドかどこかからカナダに子供の時に移民してきて、その時に英語を学んだやり方を日本語に応用しているという話だった。つまり、しばらくは全くアウトプットは無しにひたすらインプットし続けたらしい。2年後には英語を話せるようになったとか。

 

この話を聞いたとき、昔の知り合いでペルーに駐在した日本人の子供の逸話を思い出した。

 

彼らが日本からペルーに赴任したとき、子供はたしかまだ4、5才とかそれくらい?当然スペイン語は話せず。環境の変化の影響が精神面でもあったのか、いつしか日本語もスペイン語も全く話さなくなったらしい。それでも学校に行き、周りは皆スペイン語を話し続ける中、彼はずっと沈黙。両親はだいぶ心配したらしいが、特にスペイン語学習を強制せずただただ様子を見てた模様。それが、たしか半年?1年?2年?忘れたが、かなり長い沈黙期間の後に、唐突にスペイン語をベラベラ話し始めたという。

 

たぶんこういう人たちはインプット仮説でいうところの有意味なインプットによって、全般的に言語学習が起こり結果的にアウトプットもできるようになったということだと思う。

 

じゃあ、なぜこういうことが一見インプット重視に見える日本の学校での英語教育ではあまり起きないのか?僕の考えでは、「有意味な」というところがミソだと思う。

 

うまく言えないが、全般的に学校での学習内容はドライな感覚がある。つまりその目的は好きとか個人的な欲望の成就ではなく、受験だったり、仕事だったり。学習していることが、あまりその人個人として、直接的に意義深い、興味深いとはかんじられていないんじゃないかなと思う。

 

あとは、日本では色濃く感じる英語エリート意識。英語知ってると特別、俺すごいみたいな感覚、しかもその感覚は学校教育を中心に文化に埋め込まれていて学習者は無意識、が学習の動機だったり。また学校教育でもそういう価値観に基づいて教育を行い、文化が再生産されてるように思う。

 

あ、それと、日本では英語わからなくても全然問題ないというのも当然大きい。誰も必要ないと感じるものに意味など見いだせない。

 

だんだんまとまらなくなってきた。

 

学習内容面で見ても、学校教育ではインプットが多いように一見見えるが、実は吸収しているのは文法の説明、たとえばsvocだとか、イディオム覚えるとか、ここはテストで出るとか。ほぼ断片的な、ドライな知識のみ。上記の日本語学習者が感じるようなアニメやYouTube動画に感じるよいな面白さのかけらもないかも。インプットらしいものと言えば、教科書やテストで出てくる長文くらいだろうか。教科書もテスト長文も個人の趣味や好みで積極的に取り組みたい、感動した、面白いと多くの学習者が思うようなものとは言い難いだろう。